コンちゃんのブログ

あーだこーだ喋るやつです。

俺と震災とアイドルマスター2

2011年3月11日 14時46分

福島県郡山市

 

 

俺は寝ていた。

 

2階建てアパートの1階で一人暮らしをしていた俺は午後の時間になっても爆睡していた。なぜなら前の晩徹夜でぶっ続けで「アイドルマスター2」をしていたからだ。

 

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アイドルマスター2。2011年2月24日発売のxbox360専用ゲーム。

 

アイマスはSPからゲームをプレイしていたが、その前からゲームの存在は知っていた。だが当時高校生だった自分の財力ではxbox360とソフトを揃える財力がなかった。あったとしても実家で二次元の女の子をプロデュースしてニヤニヤしている姿を親に見られるのが耐えられなくてたぶん買えなかった。

 

大学に進学し一人暮らしを始め、お金もバイトをすればなんとかなる。

 

アイマス2の発売が決定されてから、バイトを頑張り念願のxbox360とソフトを揃え念願の家庭用アイマスデビューをすることができた。

発売日が大学後期のテストと重なりなかなか発売直後にプレイすることは出来なかったが、テストも終わり自由な身となった俺は朝から晩までアイマス2をプレイし続けた。家庭用ゲームの765プロアイドルの姿がめっちゃ綺麗でそれだけで興奮したし、「なにこれ竜宮小町くそつえーじゃん!となんとか竜宮小町に勝とうとしたが負けイベントなんかーい!となったり、とにかく楽しくプレイしてたのは記憶に残っている。

 

大学が春休み期間になり友達が続々それぞれの実家に帰省する中、俺は

実家にこんなクソでかXboxを持っているわけがない…

となり春休み期間になってもアパートに残りアイマス2をしていた。記憶では3月13日ぐらいには新幹線に乗って帰るよと親に伝えてた気がするし、実際に冷蔵庫の中のものもその日に向けて消費しようとしていたと思う。

 

そんなこんなで実家に帰るまでの間、俺は真美とやよいと雪歩のユニットのプロデュースに勤しんでいた。

 

 

 

 

 

楽しすぎて徹夜でアイマス2をプレイして疲れてベッドで寝ていた俺は、アパートが揺れていることに気づいて目が覚めた。枕元のデジタル時計は「14時46分」を指していた。

 

「そんなに寝ていたのか」と日中を棒に振ったことに罪悪感を感じたと同時に「また地震か」と思った。数日前に震度4ぐらいの地震を経験したばかりだったからだ(その地震東日本大震災の前震だったとわかるのはまだ先)

 

「どうせもう少ししたら収まるだろう」そう思い寝ぼけまなこをこすりながらベッドから起きようとする。

 

だが10秒、20秒経っても揺れは収まるどころか強くなっていく。とっさに近くにあったリモコンでテレビを付けたらNHK緊急地震速報を出していた。

 

その時グワンというような大きい揺れで俺は近くにあったこたつ机にしがみ付いた。

 

立っていられない。まるでワイングラスに入ってるワインを回しているかのごとく揺れているアパートの前に俺は机にしがみ付くことで精いっぱいだった。カラーボックスはガタンガタンと音を立てて動き、先ほど付けたテレビもガタガタとまるで紙相撲の力士をトントンしているように置いている位置から動こうとする。

6畳1Kの間取りのアパートのキッチンの方からは、上の棚にしまっていた鍋や食器が揺れで飛び出しているのであろう、カランコロンやパリンパリンという音がひっきりなしに聞こえてくる。

 

「逃げなきゃ」そう思っても足がすくんで動けない。ベランダに続く窓を見ると道を挟んで向かい側にある一軒家の瓦がまるで雪崩のように落ちていっていた。

 

今まで経験したことがない揺れを前に俺は生まれて初めて「」を感じた。潰れる。2階建てアパートの1階で建物が崩れて俺は死ぬ。最悪のシナリオを想像しながら俺は無理やり体を隠したこたつ机の下で揺れが収まるのを祈るしかなかった。

 

まるで10分、15分、永遠に揺れていると感じた時間から解放された俺は、亀裂が入ったアパートの壁や足の踏み場もないキッチンの惨状には目もくれず一目散に部屋から飛び出した。同じような境遇であろう春休みで残っていた他の大学生や一軒家の家族が続々と家から出てくる。3月11日。郡山は3月に入っていたが小雪が降っていた。

 

 

 

 

 

 

揺れが収まり部屋へ戻ろうとすると割れて粉々になった皿の破片や物の残骸を見て目を覆いたくなる。とりあえず割れた皿を片付けて人が通れるスペースを確保する。

 

ライフラインのチェック。幸いにも水道は若干出にくくなっていたが、電気は地震後も通っていた。(ガスは怖くて使えなかった)。ツイッターを見ると「風呂に水を貯めたほうがいい」というのを見たのでその通りにした。

 

片付けをしている最中も余震がひっきりなしに来て緊急地震速報がけたたましく鳴り恐怖がさらに増した。本当に現実なのかと疑いたくなるほど気が動転していたと思う。

 

本震から1時間か2時間ぐらい経った後、実家に帰る手前だったため冷蔵庫に食料がほとんど残っていないことに気づき急いで近くのコンビニに行く。だが気づいたときには既に遅く、コンビニの中はまだ開店前の店かのごとく食料品コーナーはなにも残っていなかった。とりあえずお菓子コーナーに残っていたチョコレートの袋詰めを買った。結局この後数日間はチョコを主食に生きることになる。

 

夕方。津波の映像に恐怖を覚える中、福島第一原子力発電所が爆発したことを知る。恥ずかしい話大学進学のために郡山に来たので、郡山以外の福島県内のことは何も知らなかったため海側の方に原子力発電所があることすら当時は知らなかった。

 

放射線量が…」「家から出ないで…」そんな言葉がテレビからもツイッターからも次々と聞こえてくる。地震だけでも怖いのに、放射能という今まで経験したことがない怖さも加わり「このままもう死ぬんじゃないか」などネガティブなことだけが脳内を駆け回る。

 

 

夜、選挙カーみたいな車が「なるべく家から出ないでください」と言いながら外を走っている。目に見えないものへの怖さから、避難所へ行くよりも家にいたほうが安全と思い家で過ごすことにした。

 

暗くなることが不安で深夜もずっと電気を付けていた。だが寝れなかった。いつ来るかわからない余震と放射能の恐怖。どうなるかわからない明日以降のことを考えると不安で眠れなかった。

寝れないとき、ずっとアイマスの曲を聞いた。特にずっと聞いていたのはやよいの「スマイル体操」だった。到底笑顔なんてできる状況ではなかったが、ポジティブな曲調と声を聞いて少しでも生きる活力をもらいたかった。

 

 

 

3月13日

 

本震から1日半が経過しても、変わらず余震がテレビから地震の影響と原子力発電所のニュースで溢れている。食料はコンビニで買ったチョコしか残っていない。なんとか食料を買いたい、そして出来れば実家に帰る方法を探したいと思っていた。

 

朝のニュース。福島空港から臨時で羽田行きの便が出ることを知る。電車は地震の影響で運行の目途が立っていないことから、帰るにはこれに乗るしかない。身支度をして福島空港に向かうことにした。

 

リュックに着替え。チョコレートの袋を入れた。そして机に置いてあった「アイドルマスター2のゲームソフトのパッケージ」を入れた。

 

無事実家に帰れてもXBOXがないからゲームなんて出来ないのに。でもその時は真剣に「これとだけは一緒にいたい」と思って荷物に入れた。それは当時の心の拠り所としての唯一のものだったからだと思う。本当にアイドルマスターが心の支えだった。

 

 

電車は運休していたがバスは運行していたため、午前9時頃に福島空港に着くことができた。しかし空港の外にも続くほどの長蛇の列が並んでいた。全員臨時便に乗るためだった。とりあえず最後尾に並ぶ。

 

午前9時に最後尾に並んで結局受付カウンターに行けたのは午後の3時か4時だったようにも思う。次の便がラスト1人という話だったが、前にいた老夫婦が「私たちは二人で乗るから先に乗っていいよ」ということで繰り上がりでラスト1人で乗ることができた。今考えてもあの老夫婦に感謝しかない。

 

夕方。福島空港から羽田に向けて臨時便が飛び立つ。最前列の席の窓から海側の景色が見える。それを見てニュースの津波の光景が蘇ってきて涙が止まらなくなった。同じく最前列にいたスチュワーデスのお姉さんが俺を見てそっとポケットティッシュを渡してくれた。また涙が止まらなくなった。

 

 

 

 

 

東京についた俺は親戚の家にお邪魔することになり、しばらくして実家に帰ることができた。大学は4月に開始する予定だったが延期となり、結局新年度が開始したのは5月の下旬からだった。

 

そして5月の下旬。

 

 

 

 

およそ2か月ぶりにあのアパートへ戻る。鍵を開けると強い余震の影響からかまた物が床に落ちていた。荷物を置いてからまた片付け作業に入る。

 

片付けた後荷物を整理しようとしたとき、一番上に入っていたのはあの時持って帰った「アイドルマスター2のゲームのパッケージ」だった。

 

俺はパッケージからソフトを取り出し、2か月ぶりにXBOXに入れた。

 

アイマス2のセーブデータははっきりと「3月11日」を刻んでいた。あの日この後のことを何も知らない俺が徹夜で頑張ってプレイしたセーブデータ。

 

俺は生きていることに感謝してまたプロデュースを再開した。

 

 

 

 

東日本大震災から10年が経ちます。

 

あの時福島で大学生だった俺も無事卒業して東京に上京して社会人になりました。今は離れたけど福島のことは今でも大好きです。

 

こうやって生きていることに感謝。

 

亡くなられた方のご冥福をお祈りします。